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愛甲郡
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日本 > 関東地方 > 神奈川県 > 愛甲郡
以下の1町・1村を含む。
愛川町(あいかわまち)
清川村(きよかわむら)
相模国に属し、元は同国最北部にあたる相模川・道志川流域の山間部も領域に含んだ。郡衙は厚木市内にあったとされるも不詳。
古くは「あゆかは」と読んだ。この地名は後に「鮎川」「愛川」の地名が派生する源となった。
中世、現在の厚木市付近に毛利荘が成立し、鎌倉時代初期に幕府の創立に貢献した大江広元の所領となった。彼の子孫は毛利氏を名乗り、後に安芸国に移転して戦国大名・近世大名に成長した。越後国などに移転した一族も上杉謙信の勇躍に協調して活躍している。
北部の山間部は「奥三保」と呼ばれていたが、鎌倉時代に三浦氏支族の津久井氏(津久井は三浦半島の地名、後に大江氏の血統に置換したとも言われる)が城山(相模原市城山町 (神奈川県) 城山町・津久井町)に城郭(津久井城・築井城)を築いて以降、「津久井」と呼ばれるようになった。江戸時代、この地域は愛甲郡から分離されたが、独立した郡とするには至らないと観念されたのか、「津久井県」の名で呼ばれた。明治に入り、津久井郡と改称された。

愛甲石田駅
愛甲石田駅(あいこういしだえき)は、神奈川県厚木市愛甲1039にある、小田急電鉄小田急小田原線 小田原線の鉄道駅 駅である。
駅所在地が「愛甲郡南毛利村愛甲」(現在の厚木市愛甲)と「中郡_(神奈川県) 中郡成瀬村石田」(現在の伊勢原市石田)の境界線上にあったことから、2つの地名を合わせて「愛甲石田」とした。
地上駅舎だった改築前の旧駅舎時代、約3分の1前後の駅施設が伊勢原市石田にかかっていたが、駅舎 橋上駅舎化された新駅舎落成後は、一部駅用地のみが伊勢原市で駅施設は厚木市愛甲側に集中した。ホーム延長工事後、再び石田側に一部駅施設がかかる部分が発生した。

愛甲猛
愛甲 猛(あいこう たけし、1962年8月15日 - )は、神奈川県逗子市出身のプロ野球選手(一塁手・外野手)。左投げ左打ち。身長・体重は181cm、87kg。現役時代は千葉ロッテマリーンズ ロッテで勝負強い打撃を売りに活躍し、中日ドラゴンズ 中日では代打の切り札として活躍した。
横浜高等学校 横浜高では左腕エースで4番打者を務め、3年次の1980年に全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園で優勝。しかし一方では悪童としても鳴らしたといい
高校卒業間際に暴行事件が発覚し部員に土下座するという一幕もあった。(後輩達は、この一件がもとで対外試合禁止処分を受けている。)同年ドラフト会議 ドラフト1位でロッテに入団。プロでは投手としてスタートするが1勝が遠く伸び悩み、1984年に打者転向。1988年よりレギュラーに定着し、勝負強い打撃を見せた。1988年6月25日から1992年7月11日にかけて記録した535試合連続フルイニング出場はパシフィック・リーグ パ・リーグ記録。1995年、大スランプに陥りチーム構想を外れ、シーズンオフに中日へ無償トレード。1999年リーグ優勝時には代打の切り札として存在感を示した。2000年シーズンオフに現役引退し、タレントに転身。2000年東海集中豪雨の際、洪水で愛車を流された。2002年、失踪騒動が起こるも事なきを得た。現在は美容関係の会社に勤務しているそうである。またフラップ(耳当て)が無いヘルメットを被り打席に立った最後の選手である。また最近、週刊誌で自らの薬物使用を告白した。アーチェリーの第一人者で日体大助教授の山本博 (アーチェリー選手) 山本博は高校の同窓である。


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